空飛びたこ

アーカイブ - 記録 詞 書き散らし

I(歌詞)

未公開 2021   歌詞

 

 

うまれてきておよぐけいれんするさもしい肺魚の眼

うまれてきて   しずか   その魚虱の死骸のうえで

ふえるふえるふえるふえるふえるふえるふえるふえる

おきるおきるおきるおきてぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ

 

とびうおの尾   はこべらのは   あちらこちらいんがのはて

までも見て確信   合図  (・・・・・・) たとえば

しん、とする時は ? このほんとうのはじらいはさて

なんだろうかなんだろうかなんだろうかなんだろうか

じゅごん   巻雲   糞   辰砂   あれはたにしの胎みっつ

それが皮膚  耳  ひれ   それがとくとくとくとく

なく、うぐいすが79なのでふるわれる記憶の道は

ほほほけちよけちよけちよれみはそはそらしどれどれ

果てるともない雨なのに蛇の血も飛び越えられる羽

があった頃に言った=ことばまたは意味が

殖えて殖えて殖えて殖えて身じろぎするキチン質

箒虫が知っていた事

 

ふみにたしせつむやきくものあかこ

んまとほすたけつあかやきみいなあ

うたひかむはりしたまふれるこのゆ

ぬうかせのちしをひなかへるつほみ

 

できごとのまだらなことは木と風のたくらみでした

現象と磁力があってそれでじゆうなわけでした

だって嘘じゃなくて見ててあの酸素と1になって昇る

昇るのです空をいま  いま  いま

いま

 

 

驕り昂るこの手から土ができた   山ができた

それから八億と二万と五千年が経つまでに

うまれてきて分泌   痛い   蜜の腺から爪先へ

それで思い出した   かつては蒼い芥子の花だった

うまれてきてひとりのほし   るるるる

うまれてきてひとりのほし   るるるる

うまれてきて3兆年にくしみは魚のように

うまれてきて3兆年よろこびは光のように

 

臆病な羊の坐骨   硫化鉄の貝の鱗

赤色矮星のたまご   爆発の重力の波

蟹虫の出した糸の巣   鳥すだく雲のたなびき

時間のあるかぎり  かぎりない意志といろどりの群れ

うまれたくもなかったけど困難はふくらんでゆく

そんざいの莫迦なかたちを影になって包んでゆく

あたたかい溶岩だった   腐葉土の粘菌だった

食われ死ぬ獺だった   気まぐれな海牛だった 

 

シグナルと皮脂のまやかし   あたかも雨虎の声

太陽の水素の光   円石藻の白い壁

連続空間の道に三葉虫のこどもたち

時間のあるかぎり  かぎりない意志といろどりの群れ

みぞれだった   海月だった   星だったわたしはことの葉

それぞれの余剰と歌は世につれわたしはことの葉

うまれてきて3兆年にくしみは魚のように

うまれてきて3兆年よろこびは光のように

うまれてきて3兆年にくしみは魚のよう

うまれてきて3兆年よろこびは光のように

 

 

X(歌詞)

2021  未公開 歌詞 

 

 

ししししししし

ししししししし

ししししししし

 

膜をはって待つ にげる むすびあう熱の和にただしさのかたちを慕う光

珪線石 るりがい 蜥蜴の心臓に危機と変調と眠りのおぼえて

どうして

 

でたらめで突き出したむっつの脚にあつまる褐虫藻のひずんで

死んだ葉っぱの真似だから身寄りもない分子雲は000101011101の落し子で

ほんとに充分なみずが流れる地中根からつつつつつつつつつつつつつ

とむかしの血の空ですら忘れるために眼を捨てたさかなたちは

ぐうぜんを名付け ふりやまぬ約束に濡れ

計画と確率 その暈のふちをもう飛べなくなってもいいのだと

どうして

ふたしかな行為のすべての目的の果てるともなき状態の記憶のまぶたにとじられてよどみ

火山礫と経験解釈の溜まりをいちいちのわたしが爪のさきまで配り

征服 負債 分化 まぐねしうむのあったはずのそこへ そこへ そこへ そこへ

そこへ そこへ そこへ そこへ そこへ そこへ そこへ そこへ そこへ そこへ

そこへ そこへ そこへ そこへ そこへ そこへ そこへ そこへ そこへ そこへ

 

 

そうだ それならばこれはそれならば ここに

 

 

心臓(歌詞)

2018  未公開  歌詞

 

 

 

 

 

チェコ語で日本はヤポンスコだと言った人の

星の数で選んで後悔した映画すらも

それがおまえの呼吸になることなら全て

見るものも聞くものも誰にも分けないでいた

 

紙屑だらけの床 買い換えるべきなカーテン

のかけ忘れられてるフックふたつ しゃぼん玉

となりの家の庭の大きさがわかる頃にも

聞こえるジムノペディを抱きしめて過ごしていた

 

いつかデタラメばかりの夢で遠い国の遺跡の真ん中で

ディプロドクスの頭に乗ったんだ

なあ あたしを信用しているか

 

月の裏に骨を撒く 無人地帯は続いていく

標識塔を目指している あそこに光源が見える

藪の中で指を切る 無人地帯は続いていく

心臓が張り裂けていく あそこに光源が見える

 

 

いつでもプライドは4千円くらいの顔をする

行こうと思わないと行かない隣の町でも

おいしくてみっつめのカステラの乾きのままで

いんちきだらけの舞台から飛び降りるためには

 

あたしとおまえと真桑瓜を区別するのが科学

という名のおまじないだと説きながら笑う人の

やる相手がいなくて逆恨みしていたゲーム

ほんとはあの子が人喰い狼だったなんて

 

他人行儀に赤黒く馬鹿みたいに薄く張り詰めた血が

おまえの体を流れてあたしの誇りを踏みにじる

借り物のしぐさを湯船のあたしに真似される

水になりたいだけなのに定期券を買い忘れて

繰り返し煽られてささくれ立つ希望の中で

プテラノドンに乗ったら地球の向こう側が見える

 

SPF30で砂漠までは7000マイル

肉の殻から無数の音と光が砕けて散る

ぽわんぽわんぽわんぽわんぽわんぽわんぽわんぽわんぽわんぽわんぽわんぽわんぽわんぽわんぽわんぽわん

 

二本の足で立っている 絶滅まで3000

油まみれの道を行く 無人地帯は続いていく

地底には怪物がいる あの国にも秘密がある

氷山の欠片をくぐる 淡水湖で夢を見てる

ナナハンで銀河を走る ジェッペルでにきびを隠す

火星軌道を外れる 無人地帯は続いていく

どこにどこにどこにどこにどこにどこにどこにどこに

あなたはいる あなたはいる あなたはいる あなたはいる

 

豆の木によじ登って大気圏を抜け出したけど

おまえはとっくに死んでいた それであたしの勝ちだから

しかたなく腐った心臓を捌いて全部食べた

涙が止まらないのに全ての星が燃えている

最後の隕石が落ちる 終末まで3億年

足があるから歩いてた 重力なんか嘘だった

横浜港に天使が降り立つねずみ花火の夏

いつも箸の先で紅しょうがをよける顔を見てた

 

全然わかんない 言ってることも聞いてることも

筆箱の中では消しゴムがよっつに割れてるの

博愛主義者だからあの俳優すらずっと好きだ

あたしの言葉じゃぜったいおまえを傷つけられない

 

 

 

諏訪 1〜2月

 

長野県1.62.1

 

茅野駅C12 67

 

戸矢さんの本(おすすめです)

 

諏訪大社本宮拝殿

 

本宮一の御柱。かなり大きい

 

諏訪大社春宮拝殿。この日は21日だったので(なんと)車窓から遷座の様子が見られた

 

春宮一の御柱

 

立石公園より諏訪湖。言われてみればたしかに糸守?

 

御神渡れず

 

同行者がビーナスラインを走ってくれた。雪の霧ヶ峰

 

同行者と別れて1人。茅野駅の黒耀石

 

星と電波望遠鏡を見に野辺山に宿をとった。野辺山駅JRでいちばん高度があるみたい。新雪に足とキャリーケースの跡をつける。立石公園のせいで『秒速5センチメートル』を連想

 

宿から歩いて念願の電波観測所まで(かんじんの45m電波望遠鏡、あまりに感動して、なんと写真を撮っていなかった(笑))。

 

小海線。ワンマン

 

八ヶ岳

花巻 7月

 

 

花巻の写真。あまりいられなかったので少なめ。2022.7.12

 

 

 

岩手軽便鉄道の後身、JR釜石線車窓より土沢駅。無人。駅ごとにエスペラント語でのニックネームつき(Brila Riveroと書いてある)

 

めがね橋の上(かな?)から遠野

 

胡四王山中童話の森ふもとの碑。「われらは世界のまことの幸福を索ねよう」

 

 

宮沢賢治記念館の展示。学生1人で250円。丁寧な照明と音楽のおかげでとても見やすい。まんなかの写真は賢治のイニシャル付きのチェロ。建物が高いところにあるので回廊の窓越しに花巻の里山を見渡せる

 

記念館外の森。すごい数の熨斗目とんぼとおさむしとなめくじがいた(とんぼが全然うまく撮れなかった)

 

胡四王神社鳥居

 

ポランの広場の森。夏らしくかぶとむしをつついている烏を見た。つきのわぐまもいるみたい。たしかに橅木も多いが痕跡はないか。きびたきが鳴いている

 

 賢治設計の日時計花壇 ひとりじめ

 

よだかの星と双子の星のモニュメント。欠けてるチュンセかポウセ

 

童話村のみみずくと石

 

 

 

田園と雲 むこうに山脈 ぽつんとあるコンビニで食べ物と飲み物を買い込み、ゆっくり宿へ

 

遠野 7月

 

 

 

 

遠野に用事、のついでに一人旅の写真。を申し訳ていどだが掲載してみる。あまりいろいろと周れず、ちょこちょことしか撮っていません。なるべく綺麗な写真を選んだ。2022.7.13

 

 

 

 

遠野駅前。遠野の河童は本当に赤い

 

 

フォークロリズム

 

 かわいい

 

 南部神社

 

 多賀神社。杜を踏み入って行く

 

旧高善旅館(「とおの物語の館」敷地内)。これは博物館内に移設したもので跡地は駅側の通りにあり。おもに民俗学についてと喜善・柳田に関するとても真摯な展示

 

 

フレイザーの著作、折口にネフスキーも泊まったという客室

 

 

熊楠の書簡。はじめて見た直筆

 

早瀬川。降りてすこし遊んだ。かえるかと思ったら大葦切が鳴いていた

 

15日の岩手日報さん。竜脚類は本当に草を食べていた!ことが久慈の化石からわかった、という話

 

 

寺町。たぶん幽霊金の話(遠野物語拾遺137話)の舞台。お墓が並ぶ。あぶらぜみやにいにいぜみが鳴いていて、ハクセキレイが歩いている

 

 

市街から来内川に沿って歩いたところにある草原。釜石線が通っている。遠野は本当に盆地。だがずっと梅雨だったので、滞在期間を通して早池峰は見えず。詰草と犬麦の道

 

散歩ばかりしていた

 

神樹蚕

 

智恩寺

 

高善旅館跡

 

遠野市立博物館。遠野および東北地方の歴史と風俗・伝承の紹介。映像資料のアニメーションもすばらしかった。3枚目からの写真は7.22〜の特別展「遠野物語の世界」より

 

 

 クルマバッタ。うまくカモフラージュ

 

 

 

藻の沢

 

(2023.6追記)遠野駅に張って撮ったお気に入りのSL銀河。美しいSLでした。お疲れさまでした

 

 

水色の街

 

 いままでは4ヶ月にいっぺんでも夢に出てきてくれたらよかったというくらいの、亡くなってからそろそろ2年が経つ幼なじみがこのごろ頻繁に、一緒に南極まで行ってくれたり、地元の外輪山のなかで秘密裏に育てられていた巨大霊長類からともに逃げる羽目になってくれたりする。後者の夢から覚めたときはわれながらSFの読みすぎだと思ったが、謎の亜キングコングが立てる轟音に一緒になってびくびく怯えながらも母校で寝泊まりをしたのが言いようもなく楽しく、懐かしかった。いや、寝泊まったというか、いまから寝ようというときに警察が到着してわたしたちは保護されて(たぶんいまより幼かった)、その後は仮設の避難所として用意された青くてかまぼこ型のとてつもなく長いビニールのシェルターに移り、そこでいくつかの凄惨な死体を見た。直前に観た韓国の映画のイメージを引きずっていた。みんな顔に布がかかっていた。

 物騒な物語で生活を囲んでいるから物騒な夢ばかり見るんだけど、でも、きのうの夢はただバイクに乗る、おしゃべりをする、という尋常な行為が2個あるだけだった。わたしは二輪の運転免許など持っていないのにきのうなんか、まったく記憶にないけどたぶんかつて通ったことのある山道を、別々の立派なバイクに乗ってあてどもなく走ることができた。交通量のわりに整備された道で、途中にそこだけアニメみたいに草の繁茂した洞門もあり、川の脇にもしかすると無人?の観光レストランかホテルのようなものが建っていた。いま思えばダム湖に向かっていたのか。

 その人と夢で会うとき、わたしはその人がすでに生きていないことを不思議といつも知っている。でも別にそんなことはとくに気になりもしない。というかその人はバイクのせいでいなくなってしまったんだけどそのことだって最初から知りながら、でもいいか、せっかく会えたしね、という感じで、誰の目もない山で細々と悪事を働いたのだった(無免許運転)。カワサキ跨がれ未来。現実ではもう自動車もバイクも自分では動かそうという気にならない。

 夢ではうまく話せる。夢の言葉は音と文字のあいだにある。

 音声言語の聞き取りもその処理も出力も生まれつき得意でなさすぎて、字幕のない映画はあんまり理解ができないし、よく知っている言葉ですらもさんざん言い間違えるし、どんなに筋道を点検した自分の論理も口ではぜんぜんうまく言葉にできないから無遠慮だったりとても誠実だったりする相手にはすぐくじかれてしまう。それで惨めな思いをするたびに浴びるほど文字を読むことでいったん復讐をしたという気になりはするものの、そういうときに自分の喉のなかで煙を出したままいよいよ炎を立てなかったいっさいの言葉がお腹の底まで落ちて寒天質になっていて、そんな腐ったわだかまりの強烈な存在感をごまかすためには結局、国立科学博物館にある霧箱宇宙線の筋とかドロトプスの化石とか(とにかく遠いところから来てそこにあってなにも言わないもの)を延々と見るか、旅に出るか、どろどろのマグマみたいになってる気持ちを半端な文字にしてやりすごすしか仕方がなくて、生きることはいつもさびしさとの付き合い。僕の広大なさびしさに似合うのはもはやパタゴニアしかない。人間なのに会話がうまくないのは損な気がする。みんな簡単そうにできてしまうから不思議だ。

 ところが夢の言葉は外からやってくる音ではなくてすべて自分の脳活動の稔りだから、うまく聞こえるしうまく言える。南極行きのフェリー(そんなものはない)では、わたしを引っ張っているのは地球じゃなくてりんごのほうだからわたしの血は赤く、だからわたしは食い意地だけで血を流しているのだ、みたいなことを力説していた。どうしてみんなくしゃみが複数回出ないのかとか、犬と花火は大きいほどいいとか、人間はむかし5ミリくらいのミミズだったらしいよとか、たぶんバナナフィッシュ日和ってこういう日のことを言うんだろうねとか(ぜんぜんそういう日ではなかった)、とにかくどうでもよくなににもならないことを滔々と、惜しげもなく思いつく限りに投げつけて、半分くらいは無視され、半分くらいは取り合ってもらえる。

 向こうもたくさんのことを話してくれるけど、これもミステリーなことにその人からもらった言葉のほうは目が覚めると霧みたいにおぼつかなくなってそのまま消えてしまい、ほとんど思い出すことができない。わたし自身があんまり記憶しないでいようと思っている節もあるんだけど。ただ覚えているのは、生きていたころより遥かに上手にわたしはその人の言うことの一つひとつを聞き、流暢に適切な返答をして、全部の会話が本来の人生では信じられないほど良好に済んだことだけだ。本当はこっちが黄泉の国で死んでいるのはわたしなんじゃないかという気すらしてくる。死んだままあと70年くらい生き、輪廻転生があるとしたら来世はホヤになれるかなれないかというくらいで、せめて岩にくっつくほうじゃなくて海を漂うほうがいいが、それっていまよりずっとさびしいか。海はパタゴニアより広いし、音もしないし。そんなに得意じゃないけど、音のあるのはけっこういいことに思える。

 というか本当に、人間は爪の上の土なのか。これがそこまでありがたいのか、本当に? 紀元前と違ってもう80億もいるんだし、わたしより絶対うみさぼてんのほうがレアだ。うみさぼてんは光るのだ。

 そうだ、海。そういう夢を見た日は、たいてい海岸に行きたくなり、たいてい行く(きのうは行かなかったけれど)。

 わたしの街の海は人気がないので浜辺に出てもいつも一人か、ほかに誰かがいたとしても岩礁で危なっかしい釣りをしているおじさんくらいのもので、おじさんからちょっと離れたバイパスの高架沿いにテトラポッドがいい感じに積んであり、そのどれかひとつに座る。だいたい読んでも読まなくても変わらないくらいの本を持っていって読む。わたしにも言葉がわかることが本を読むとわかって安心する。