空飛びたこ

アーカイブ - 記録 詞 書き散らし

諏訪 1〜2月

 

長野県1.62.1

 

茅野駅C12 67

 

戸矢さんの本(おすすめです)

 

諏訪大社本宮拝殿

 

本宮一の御柱。かなり大きい

 

諏訪大社春宮拝殿。この日は21日だったので(なんと)車窓から遷座の様子が見られた

 

春宮一の御柱

 

立石公園より諏訪湖。言われてみればたしかに糸守?

 

御神渡れず

 

同行者がビーナスラインを走ってくれた。雪の霧ヶ峰

 

同行者と別れて1人。茅野駅の黒耀石

 

星と電波望遠鏡を見に野辺山に宿をとった。野辺山駅JRでいちばん高度があるみたい。新雪に足とキャリーケースの跡をつける。立石公園のせいで「秒速5センチメートル」を連想

 

宿から歩いて念願の電波観測所まで(かんじんの45m電波望遠鏡、あまりに感動して、なんと写真を撮っていなかった(笑))。

 

小海線。ワンマン

 

八ヶ岳

花巻 7月

 

 

花巻の写真。あまりいられなかったので少なめ。2022.7.12

 

 

 

岩手軽便鉄道の後身、JR釜石線車窓より土沢駅。無人。駅ごとにエスペラント語でのニックネームつき(Brila Riveroと書いてある)

 

めがね橋の上(かな?)から遠野

 

胡四王山中童話の森ふもとの碑。「われらは世界のまことの幸福を索ねよう」

 

 

宮沢賢治記念館の展示。学生1人で250円。丁寧な照明と音楽のおかげでとても見やすい。まんなかの写真は賢治のイニシャル付きのチェロ。建物が高いところにあるので回廊の窓越しに花巻の里山を見渡せる

 

記念館外の森。すごい数の熨斗目とんぼとおさむしとなめくじがいた(とんぼが全然うまく撮れなかった)

 

胡四王神社鳥居

 

ポランの広場の森。夏らしくかぶとむしをつついている烏を見た。つきのわぐまもいるみたい。たしかに橅木も多いが痕跡はないか。きびたきが鳴いている

 

 賢治設計の日時計花壇 ひとりじめ

 

よだかの星と双子の星のモニュメント。欠けてるチュンセかポウセ

 

童話村のみみずくと石

 

 

 

田園と雲 むこうに山脈 ぽつんとあるコンビニで食べ物と飲み物を買い込み、ゆっくり宿へ

 

遠野 7月

 

 

 

 

遠野に用事、のついでに一人旅の写真。を申し訳ていどだが掲載してみる。あまりいろいろと周れず、ちょこちょことしか撮っていません。なるべく綺麗な写真を選んだ。2022.7.13

 

 

 

 

遠野駅前。遠野の河童は本当に赤い

 

 

フォークロリズム

 

 かわいい

 

 南部神社

 

 多賀神社。杜を踏み入って行く

 

旧高善旅館(「とおの物語の館」敷地内)。これは博物館内に移設したもので跡地は駅側の通りにあり。おもに民俗学についてと喜善・柳田に関するとても真摯な展示

 

 

 金枝篇折口にネフスキーも泊まったという客室

 

 

熊楠の書簡。はじめて見た直筆

 

早瀬川。降りてすこし遊んだ。かえるかと思ったら大葦切が鳴いていた

 

15日の岩手日報さん。竜脚類は本当に草を食べていた!ことが久慈の化石からわかった、という話

 

 

寺町。たぶん幽霊金の話(遠野物語拾遺137話)の舞台。お墓が並ぶ。あぶらぜみやにいにいぜみが鳴いていて、ハクセキレイが歩いている

 

 

市街から来内川に沿って歩いたところにある草原。釜石線が通っている。遠野は本当に盆地。だがずっと梅雨だったので、滞在期間を通して早池峰は見えず。詰草と犬麦の道

 

散歩ばかりしていた

 

神樹蚕

 

智恩寺

 

高善旅館跡

 

遠野市立博物館。遠野および東北地方の歴史と風俗・伝承の紹介。映像資料のアニメーションもすばらしかった。3枚目からの写真は7.22〜の特別展「遠野物語の世界」より

 

 

 クルマバッタ。うまくカモフラージュ

 

 

 

藻の沢

 

(2023.6追記)遠野駅に張って撮ったお気に入りのSL銀河。美しいSLでした。お疲れさまでした

 

 

水色の街

 

 いままでは4ヶ月にいっぺんでも夢に出てきてくれたらよかったというくらいの、亡くなってからそろそろ2年が経つ幼なじみがこのごろ頻繁に、一緒に南極まで行ってくれたり、地元の外輪山のなかで秘密裏に育てられていた巨大霊長類からともに逃げる羽目になってくれたりする。後者の夢から覚めたときはわれながらSFの読みすぎだと思ったが、謎の亜キングコングが立てる轟音に一緒になってびくびく怯えながらも母校で寝泊まりをしたのが言いようもなく楽しく、懐かしかった。いや、寝泊まったというか、いまから寝ようというときに警察が到着してわたしたちは保護されて(たぶんいまより幼かった)、その後は仮設の避難所として用意された青くてかまぼこ型のとてつもなく長いビニールのシェルターに移り、そこでいくつかの凄惨な死体を見た。直前に観た韓国の映画のイメージを引きずっていた。みんな顔に布がかかっていた。

 物騒な物語で生活を囲んでいるから物騒な夢ばかり見るんだけど、でも、きのうの夢はただバイクに乗る、おしゃべりをする、という尋常な行為が2個あるだけだった。わたしは二輪の運転免許など持っていないのにきのうなんか、まったく記憶にないけどたぶんかつて通ったことのある山道を、別々の立派なバイクに乗ってあてどもなく走ることができた。交通量のわりに整備された道で、途中にそこだけアニメみたいに草の繁茂した洞門もあり、川の脇にもしかすると無人?の観光レストランかホテルのようなものが建っていた。いま思えばダム湖に向かっていたのか。

 その人と夢で会うとき、わたしはその人がすでに生きていないことを不思議といつも知っている。でも別にそんなことはとくに気になりもしない。というかその人はバイクのせいでいなくなってしまったんだけどそのことだって最初から知りながら、でもいいか、せっかく会えたしね、という感じで、誰の目もない山で細々と悪事を働いたのだった(無免許運転)。カワサキ跨がれ未来。現実ではもう自動車もバイクも自分では動かそうという気にならない。

 夢ではうまく話せる。夢の言葉は音と文字のあいだにある。

 音声言語の聞き取りもその処理も出力も生まれつき得意でなさすぎて、字幕のない映画はあんまり理解ができないし、よく知っている言葉ですらもさんざん言い間違えるし、どんなに筋道を点検した自分の論理も口ではぜんぜんうまく言葉にできないから無遠慮だったりとても誠実だったりする相手にはすぐくじかれてしまう。それで惨めな思いをするたびに浴びるほど文字を読むことでいったん復讐をしたという気になりはするものの、そういうときに自分の喉のなかで煙を出したままいよいよ炎を立てなかったいっさいの言葉がお腹の底まで落ちて寒天質になっていて、そんな腐ったわだかまりの強烈な存在感をごまかすためには結局、国立科学博物館にある霧箱宇宙線の筋とかドロトプスの化石とか(とにかく遠いところから来てそこにあってなにも言わないもの)を延々と見るか、旅に出るか、どろどろのマグマみたいになってる気持ちを半端な文字にしてやりすごすしか仕方がなくて、生きることはいつもさびしさとの付き合い。僕の広大なさびしさに似合うのはもはやパタゴニアしかない。人間なのに会話がうまくないのは損な気がする。みんな簡単そうにできてしまうから不思議だ。

 ところが夢の言葉は外からやってくる音ではなくてすべて自分の脳活動の稔りだから、うまく聞こえるしうまく言える。南極行きのフェリー(そんなものはない)では、わたしを引っ張っているのは地球じゃなくてりんごのほうだからわたしの血は赤く、だからわたしは食い意地だけで血を流しているのだ、みたいなことを力説していた。どうしてみんなくしゃみが複数回出ないのかとか、犬と花火は大きいほどいいとか、人間はむかし5ミリくらいのミミズだったらしいよとか、たぶんバナナフィッシュ日和ってこういう日のことを言うんだろうねとか(ぜんぜんそういう日ではなかった)、とにかくどうでもよくなににもならないことを滔々と、惜しげもなく思いつく限りに投げつけて、半分くらいは無視され、半分くらいは取り合ってもらえる。

 向こうもたくさんのことを話してくれるけど、これもミステリーなことにその人からもらった言葉のほうは目が覚めると霧みたいにおぼつかなくなってそのまま消えてしまい、ほとんど思い出すことができない。わたし自身があんまり記憶しないでいようと思っている節もあるんだけど。ただ覚えているのは、生きていたころより遥かに上手にわたしはその人の言うことの一つひとつを聞き、流暢に適切な返答をして、全部の会話が本来の人生では信じられないほど良好に済んだことだけだ。本当はこっちが黄泉の国で死んでいるのはわたしなんじゃないかという気すらしてくる。死んだままあと70年くらい生き、輪廻転生があるとしたら来世はホヤになれるかなれないかというくらいで、せめて岩にくっつくほうじゃなくて海を漂うほうがいいが、それっていまよりずっとさびしいか。海はパタゴニアより広いし、音もしないし。そんなに得意じゃないけど、音のあるのはけっこういいことに思える。

 というか本当に、人間は爪の上の土なのか。これがそこまでありがたいのか、本当に? 紀元前と違ってもう80億もいるんだし、わたしより絶対うみさぼてんのほうがレアだ。うみさぼてんは光るのだ。

 そうだ、海。そういう夢を見た日は、たいてい海岸に行きたくなり、たいてい行く(きのうは行かなかったけれど)。

 わたしの街の海は人気がないので浜辺に出てもいつも一人か、ほかに誰かがいたとしても岩礁で危なっかしい釣りをしているおじさんくらいのもので、おじさんからちょっと離れたバイパスの高架沿いにテトラポッドがいい感じに積んであり、そのどれかひとつに座る。だいたい読んでも読まなくても変わらないくらいの本を持っていって読む。わたしにも言葉がわかることが本を読むとわかって安心する。

 

 

物語(歌詞)

2020  未公開 歌詞

 

 

 

 

 

 

偶然だったのかどうか鳥の卵の羊膜が放射する無数の波で溶けたアイスを食べたのが横浜の船を見ていてずるくなれなかった冬にいくつもの当たってほしいお神籤を結んだせいで行ってみた大聖堂で猫が2匹死んでいました かぶと蟹の甲羅みたいな形の菩提樹の下

たとえ天気予報が外れても続いた湿原に苔を育てるほうの人生が果たしてあるのかと

 

あってもいい自由にも扇風機で名のない風を塗り込めた宇宙に球状星団が散らばります

お祝いの鯛はめでたいほど赤黒くなっていずれ道徳になる気持ちを左から右に流れます

打ち寄せては引くまなざしの連帯に点いた言葉の火に焦がされた地球にエルドニアが生きていた頃

ランドセルを投げた腕で天使の歯を磨く夜はよろこびがひし形をして飛びまわっているのでした

 

 

 

 

 

ユートピア(歌詞)

2019  未公開  歌詞

 

 

 

なるべく早くめざめた朝に切らしてるコンソメ 水曜日

ひっこぬいたらくるくるになる横の髪の毛  きみの髪の毛

 

ふやふやのかさぶたがとれたけどいっこうによくならない機嫌に

恋をしたこと  同じ体で息をしたこと  雪を見たこと

 

お姫さまなら月に帰れてもあたしは恐竜の背中に乗れる

ひっこぬいたらくるくるになる横の髪の毛  きみの髪の毛

 

ユートピア  飛んでゆける二人

ユートピア  飛んでゆける二人

ユートピア  飛んでゆける二人

ユートピア  飛んでゆける二人に

 

幽霊を見た気がした朝に消し忘れエアコン  水曜日

ばらばらの陽が床に落ちてる  おどけた顔がふたつに裂ける

 

 

C(歌詞)

2019  完成版  未公開  歌詞

 

 

 

意志といろどりの群れ

君がたてる小さな音をずっと聞いていたのは

 

命の引き出しからかわいい声を盗んできた

生まれる前、ざわめく摂理の中をさわやかにほつれる おかしくて笑ってる

きらきらの魚 孤独を知っている

 

憧れていたんだ  自由な音楽に

瞳はがちゃがちゃ 待ち望んだ光!

 

 

あたしむかしはあの草だったの

あたしむかしはあの虫だったの

あたしむかしはあの鮫だったの

あたしむかしはあの鳥だったの